クライアント様のお話の中で、職場や家庭などでの人間関係の悩みを抱えておられる内容がとても多いです。
カードセッションやカウンセリングを通して、お話を聞きながら軌道修正していくのですが、
結局、何にまず気が付けば楽になるかというと、
「他者は自分の鏡」なんだと認識することから
「えーーー!そんなことないです!あんなひどいこと言ったり、したり、あたしは絶対にしないです!」
と、反論したくなるのも重々承知です。が、
今現在のあなたはそんなことを絶対にしていないかもしれません。
しかし、どこかの時点で、同じようなことをしていた自分は必ずいるといういうことなのです。
「どこで?いつ?」
今のあなたの人生が始まってまもなくの幼いころだったかもしれないし、思春期だったかもしれないし、大人になってからだったかもしれない・・
そして、今世だけじゃない、その前の、そのもっと前のどこかの人生で、あなたが同じように行動してきたことかも知れないのです。
私たち人間は、なんのために、どんな目的のために転生を繰り返しているのか?
・魂の進化のため
・エゴ(我欲)を愛に変化せていく過程を経ることで成長するため
です。
そして、私たち魂の進化過程には色々な法則があって、
その一つに「霊的裁きの法則」というものがあります。
★自分と似たレベルの者の利己的な行為を、身を持って痛感することになる
つまり、「こういう行いを他者にしたら、どんな反応が返ってきて、どんな思いをさせるのだろう?」
そして、「こういう行いをされた自分はどんな反応をして、どんな思いで受け取るのだろう?」
その両方を身を持って体験することで、最終的には
「自分がされたら嫌なことは他者にはしない」ということに気が付くことで進化していくのです。
ですから、まず、嫌な人間関係の中に自分がいるとしたら、「自分はしない。それでいいんだ。」と思うこと。
そして、「関わらないこと」「お返ししてもまた自分に返ってくるだけと気づくこと」です。
そして、そのことに気が付くことで、感受性を高め、同じような経験をしたものの苦悩をより敏感に感じ取れるようになる。
それは、今、自分が経験していることも、そういう行為をしている相手の経験も両方理解し、受け入れ、許すこと=愛
なんですね。
その愛を理解すると、また更に進化するわけです。
では、世の中で日々多くの酷い経験をしている人たちは、過去生において同じような体験をしてきた裁きなのか?
と思われるかもしれません。
全てが全く同じような経験ではないかもしれませんが、例えば、殺人する体験とされる体験は、多くの魂がその両方を進化の中で選択していることでもあるのです。
その選択において、善悪、正義、公正、などを学ぶために成されただけのことで、
その辛すぎる体験は必要のないものだと認識する、逆に、こうであれば絶対的に世界の平和に繋がる、と理解できた魂の意識がどうしても不可欠だということです。
これは宇宙全体が愛で統一されるための最も基礎となる体験なのですね。
人間は肉体を持つ限り、必ず死を体験します。
その死に方は、戦争、病気、事故、事件、・・様々な形で、様々な人間に体験として課されるのです。
どの方法で亡くなっていくかさえも、魂は転生する前に決めてくると考えられています。
痛ましい、予想もつかなかった死の迎え方をした方々は、本当に勇気ある選択をされた方々であり、大きな進化をされた魂なのだと思います。
私たちが日々当然のように表現すること、単に、「悪だから、不公平、正義に反するから、それらは許されない!」という感情だけで捉えるのではなく、
「こういう行為をするこの人の魂は、このような苦悩と共に、それでも進化の過程にあるのだろうな」、と一旦落ち着いて眺めると、
どんな人間(魂)も赦すこと、どんな人間(魂)も実は自分と同じように霊的進化のためにこの人生を歩んでいるのだということ、が浮かんでは来ないでしょうか?
私は、毎日のように残虐なニュースを見る度に、「こんな体験を選択してきた魂たちなんだな・・」と思うと同時に
霊性における学びをしていなかった頃と比較すると、ただ単に、可哀想、辛すぎる、ひどい、信じられない、といった感情だけではなく、
どこか慈しみの感情をもってしまうことに気がついています。
愛において成長しない限り、真の幸福はない・・
未熟な魂の進化はまだまだ続きます。
けれど、霊的な学びによって、穏やかに生きることが出来るようにはなってきたと確信している今日この頃。
今日のブログは長々過ぎました(笑)
まぁ、要するに、未熟なもの同志、これからもそれそれ頑張って生き抜こうや、この人生を!です。
そして、そして、願います。
全ての魂がそれぞれの過程においてなるべくたくさんの喜びの中に在りますように・・と。
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さつき (金曜日, 14 11月 2014 12:12)
本当に、人生は学びですね。
そして、たくさんの経験から楽しむ為に存在しているのかもしれないと感じています。思い込みが増える度に思い通りにならない現実を否定したり、自分を哀れむより、事実を受け止めた時に感じる感性が、学びや慈しむ想いだったらどれだけ豊かな気持ちで時間を過ごせるだろうと感じています。まだまだ愛不足の私。これからも喜びを感じていきたいと思いました。
michi (金曜日, 14 11月 2014 14:15)
さつきちゃん、他人でも家族でも、それぞれが個々の魂であることを忘れないように。
そして、家族なら、家族として共に成長することを選択してきたのですよね。
共に生活するなかで、尊重することが困難なことも多々あります。
けれど、否定的な感情の渦に巻き込まれていると感じたなら、一旦その渦から冷静に出てみることで、もっと客観的に相手の魂を慈しむ感情へと変化することが可能なのです。
私は、「どうしてこんな切ない思いでいなくてはならないのだろう?」と一度は凹みますが、
そのあとに、「この子の成長を信じよう」と思うようになりました。
なぜなら、それしか出来ないからです。その子の成長は、その本人が体験したいことなので、それを見守るのが親として選ばれた自分の出来ることだからです。
特に幼い子供ではないなら、余計です。
「親のくせに放ってばかりいる」と非難するひとがいたとしても、それは全くの家族ではない立場の魂からの感情であり、関与する立場でもないのです。
多くの初期段階の魂は最初に家族からの愛情を受け取り、その喜びを認識し、他者にもそうしてあげようと学んで行動していきます。
利己的な育て方であった時もあるかもですが、大切に慈しんで育てた経緯があると自負するなら、きっとその子もどこかの段階で同じように愛を与える存在になります。
魂の成長はとてもゆっくりであることがほとんどです。信じて、寄り添って、共にこの学びの道を歩みましょう。