皆様、それぞれのクリスマスをいかがお過ごしでしょうか?
写真は、家にある、セドナで購入した赤土の飾り物。
キリストの誕生を祝うマリアとそれを囲む天使やお仕えのものたちのオブジェです。
この素朴さに惹かれ即買いしました。
先日サロンに寄ってくださった方。会社をお辞めになるとのことでした。
余命宣告を受けられ、放射線治療もしないことに決めて日々を過ごしておられるとのことでした。
優しく紳士な方で、笑顔も穏やか。素敵な方です。
「こういうことに突然なりまして、やはり、なんというか、気持ちの行き場をどこへ持っていこうかと思うことあり、
宗教的、精神世界的なところへ救いを求めるというのがよくわかるようになりました・・」
その言葉がずっと脳裏から離れず、
その言葉を聞いた時に、「そうですか・・そうですね。お気持ちはお察しします。」と答えた自分の気持ちはなんと浅いのだろうと
少々凹みました。。
もし、自分が同じ立場にあったとしたら、また違ったお返事になったのだろうか?とも思いましたが、
多少なりとも学んだ自分がいたので、精一杯の「お察しします・・」でした。
スピリチュアル=精神世界的な事柄 を勘違いしてはなりません。
そもそも、生きて死んでいくことを選択した私たちの全ては、それ自体がスピリチュアルであること。
霊的な、スピリット(魂)そのものであること、を意味しているのです。
単純な、或いは、当たり前の現象だということです。
なので、否定も肯定もそこには存在せず、ただそう在るだけだということから理解して認知されるべきことだと私はそう思っています。
生まれることは、死んでいく過程を始めるということ。
そして、いざその最期の時がおよそ明らかになった時に、たいていの人は肉体が亡くなるという恐怖に最も直面し、もがくのだと思います。
しかし、生きることと死んでいくことがどういうことなのか?を静かに眺める時間を持っている習慣が多少なりともあれば
単に、恐怖だけではなく、違った視点から今一度自分の残りの今世について見つめるようになると、思うのです。
また、スピリチュアルを理解すること、体験することと、サイキックなこと、は繋がってはいますが、全く違うものです。
たとえサイキックな力が十分あったとしても、スピリットの理解がされていないと、ただそういう類の能力を持っている人だということです。
それは、歌が上手に歌えるとか、絵を書くのがうまいとか、そういう誰もが持っている様々な能力と同じだと思います。
例えば、視えない何かが見えたとするならば、同時にそれを、どうその人の生き方に活かせばいいのか?を知っていることが
スピリチュアリティに結びつく生き方であり宝の能力なのだと思います。
(もしくは、サイキックな能力によって世の中の事象に役立てることが出来るなら、どんどん皆がそうすべきだと思いますし、
そこに奉仕の心があるなら、それは決して宝の持ち腐れにはならないし、次第にその霊体波動も上がるのではないかとは思います。)
もし、最期の時が明らかになったら、
どんな風に日常をおくるのだろうか?
そうなった時に、私は、もがきながらも、今歩む道程がついに活かされる時が来たのだ、と、多分確実にそう思えるでしょう。
私にとって、現実に生きるための知恵と共に、霊界を知る、認める、ということはそういうことのためにも繋がっているのです。
今日はクリスマスです。
イエスの誕生は、霊界からの、言葉に表せないほどの恩恵でした。
そういう視点から、この夜を過ごすことで、
肉体を持ち、霊体も共に在る、人間という愛すべき存在であることに、ただ感謝したいと思います。
今年もこの聖なる日を、肉体を持って祝えることに・・
Merry Christmas to you !
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こうちゃん (木曜日, 25 12月 2014 13:59)
今愛犬が精一杯生きようとしてます。年を重ねてきて、力尽きるまで一生懸命生き様としてます。言葉が通じないもどかしさ、見てやるしかない事に憤りを感じてます。ただ、してやれる事だけは全てしてやりたい。去年亡くなった愛犬にしてやれなかった分目一杯してやりたい。今迄、沢山の思い出を作ってくれたから、恩返ししてやりたい。大切な家族やから。
天空SPACE 本田美智子 (木曜日, 25 12月 2014 17:24)
こうちゃん、奥さんから聞いてますよ。とても大切にしてきて、家族として一緒に生きてきたワンコへの愛情をひしひしと感じます。
今まで通り、そばにいてあげるだけで、きっと通じていますよ。
もし霊界に行っても、その恩は決して忘れないということです。
人間と同じで、ワンコも肉体と霊体で創造されているから、この間から学んでいることも思い出し、慈しみをもって最期まで愛してあげてください。
肉体が亡くなることは、現世にまだ残る者としてはとても寂しい体験ではあるけど、霊体として安らかな次元に行けることは祝福とも言えるのです。